スポーツギターの概念

一般的なスポーツギター以外の話

風がすごく強いのでお気に入りの漫画についてまとめたがる概念

お疲れさまです。関東地方は本日夕方から強風が吹き荒れておりまして、それはもうえらいことになっております。

 

全然関係ないですが、昨日激重になっていたMacBook proが『Macが遅くなった時にするべきこと23』みたいなやつ読んで圧倒的なスピード感を持った機体に生まれ変わったので、平日ですが更新したいと思います。

 

と言っても、もうあんまり固いやつは書きたい気分でもないので、こたつにぴったりな最近のおすすめ漫画でも紹介していきたいと思います。

 

危ノーマル系女子』真田ジューイチ

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既刊1巻ですが、1巻が発売されたのが今年の1月くらいだったと思うので、一刻も早く続刊が出てほしいところです。

ストーリーを簡単に説明すると、女に全く興味のないクールな主人公シンヤくんが、ツンデレ・ストーカー・SM・殺人鬼・ヤンデレ・吸血鬼な女の子達と過ごす日常を描いた作品です。

これだけですと、よくあるハーレム日常系の亜種のような感じに聞こえるかも知れませんが、とにかく登場する女の子が割りとガチで痛い感じなので、どちらかというと主人公のシンヤくんに同情します。

まぁ作品のタイトル通り、危険でアブノーマルな女子が沢山登場するだけで私はいいのです。いいんです。

 

 『惨殺半島赤目村』武富健治

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鈴木先生』の武富健治先生の最新作ですね。

同時に連載している『ルームメイト』もメチャ面白いですが、やっぱり私は武富健治作品には「笑い」を求めてしまうので、こちらの作品をおすすめしたいと思います。

ただ作品のストーリー自体には全然笑いの要素はありません。

人里はなれた陸の孤島に若き医師が赴任して、そこで起こる事件や島の秘密をーみたいな感じの作品ですので、基本的にはサスペンス的な作りではあります。

しかし、『鈴木先生』がそうだったように、武富健治作品は絵柄とセリフのミスマッチや、変なディティールによって、すごくシュールな笑いを提供してくれます。

例えば主人公の医師なんですけど、右手にDAIGO的なフィンガーグローブをつけているんですね。

なんで?みたいな疑問しか浮かばないし、そんな格好で色々真面目に島の人々とやりとりされたり謎を少しづつ解明されても困るわけです。

あとやっぱり表情ですよね。武富健治作品の登場人物独特のこう、一気に顔面にグッと力が入ったような、子供が一気におっさんに見えるぐらいの力の入った顔にはいつも少し笑ってしまいます。

『はるまげ』なにわ小吉

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週刊少年ジャンプで『王様はロバ』を連載していたなにわ小吉先生の新作です!!!

それだけでもういいのではないでしょうか。

残念ながら2巻で完結してしまいましたが、みんなこの単行本を買って、少しでもはやく小吉先生の新作が読める環境を整えるべきだと思います。

一応ストーリーを簡単に紹介すると、

宇宙の端にある小さな惑星が舞台で、その星で最もエライとされる「キャプテン」になるために、県次と義経の兄弟が遊説の旅を進むっていう、まぁそんな感じの面白いやつです。

でもそういうことはもうどうでもいいんです。結果「キャプテン」も後半どうでもよくなりますし、どうでもいいと思います。とりあえず『王様はロバ』を読んでいて、少しでも理性が残っているのであれば読むべきだと思います。

 

『地球戦争』小原愼司

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まぁ『宇宙戦争』なんですよ。

なんですけど、なんですけれども!なぜにこれほど面白いのか!!

とあまり使ってなかった!を連発するほどに面白いです。

万国博覧会に沸く大英帝国絶頂期の倫敦を舞台に、孤児院で暮らす少年オリバーと上流階級の少女・アリスが、圧倒的な絶望の中でとにかくがんばる!火星より飛来した三脚砲台!蠢く吸血怪人!

とまぁこんな感じですし、『二十面相の娘』の小原先生ですし、まず面白いです。

 

『きみが心に棲みついた』天堂きりん

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世の中恋愛的に悪い男はごまんといると思いますが、その悪い男が悪い男であるための絶対条件として、その悪い男に騙され、傷つき、騙されてるとわかっていても悪い男から離れられないダメな女の存在が必要だと思います。

これはそんなダメな女が主人公の漫画ですので、基本的にはずっとイライラし続けることになります。今3巻まで出ていますが、巻を追うごとにイライラがつのり、投げ出したくなります。バカっ!もうそんな男やめとけって!もぅ、またおんなじ手に引っかかってるやん。。それでも読みたい。早く続きが読みたい。もはや離れられない。

そんなダメな女にイライラさせられるとは分かっていても離れられない読者を増産する、悪い漫画だと思います。

 

スピリットサークル水上悟志

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正直に言って『惑星の五月雨』はそこまでノレなかったんですよ。読んでいてすごく既視感があるというか、ドラマの盛り上げ方や結末についても読むうちにある程度想像がつくというか、まぁそれでも最後まで読みましたし楽しめましたが、そんな読者にもこの『スピリットサークル』は激しくオススメしたいと思います。

簡単に言うと輪廻の話です。

主人公の風太くんはちょっぴり霊感の強い普通の中学生なのですが、ある日転校してきた少し変わった鉱子という女の子の側に、常に背後霊がいることに気づきます。そして何気ない会話の中でそれを鉱子に伝えてしまうのですが、、

ここから主人公の風太くんは7回死ぬことになります。(といってもまだ2巻までしか出てないので4回ぐらいしか死んでいませんが)

つまり、風太くんと鉱子ちゃんは前世からの因縁の間柄であり、それを鉱子ちゃんは知っているのですが、風太くんはそれを知らないため、原始の過去から数代かけたその因縁の歴史を追体験することになるわけです。

まぁあんまりピンとこないかとは思いますが、読んで損なしだと思います。

 

『ブレット・ザ・ウィザード』園田健一

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私の最も好きな漫画家の一人である園田健一先生の今のところの最新巻です。少なくとも30巻くらいは出てほしいなーと思っていましたが4巻で終わってしまいました。これほど悲しい経験はしばらくなかったので、完結!の帯を観た時には本当に落ち込みました。

園田健一作品の絵柄が古いとかいうやつは本当に頭がおかしいとしか思えない。

スーチーパイの人でしょ?とかいうやつもまぁその通りなんだけどとりあえず『ガンスミスキャッツ』と『砲神エグザクソン』を保存用と読む用に2巻づつ買えやと言いたい。

でもまだ園田健一作品を読んだことのない人のために、最高にイケてるところをいくつか挙げるとすると、まず、

銃・車へのこだわりが半端ない

その説明いる!?そこまで書き込む必要ある!?というほど、ほとんどフェティシズムと言っていいほど銃・車に関する言及が多いです。

ロリ要素・オッパイが必ずある

確実と言っていいほど作品に登場する幼女と巨乳の女性。もう説明はいらないはず。

映画的なコマ割りのうまさ

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これ導入部なんですけど、このロングショットからの寄り!カット割り!たった1ページでこれだけ雰囲気が出せるなんて尋常ではないと思います。

 

とまぁさくさくと紹介しましたが、また暇があれば自分のメモ用にもまとめたいと思います。

それではこの後買った漫画でも読みながら寝ます。

お疲れ様でした。

服を巡る時と場合の概念

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上の写真は2012年awのthe sakakiなんですけど、いやーかっこいいですよね。

私も昨年購入したんですけど、いやー今年みてもかっこいいですよね。

 

と、私自身は思うわけなのですが、おそらく大半の人にとっては別にかっこよくもなんともないというか、ふーんな感じ、むしろ何これ?的な感じに受け止められるかと思います。

 

もちろんこのthe  sakakiというブランドについて色々うんちくを垂れることもできますし、スタジャンを和のテイストでうんたらみたいなこの服自体についても語ろうと思えば語れるわけなんですけれども、そういうことでもないと思います。

色々とロジカルに説明したところで、そうなんだなるほどーじゃあかっこいいね。みたいな感じには確実にならないと思います。

 

このなんて言うんですかね、服って私はすごく「良し」とする観点というか視点みたいなものが多岐に渡るなーというのは日頃から思っている所でもありまして、日曜の深夜で全然眠くならないのでつらつらとその辺のところについて書いていきたいと思います。

と言っても何も分からない

 

何をもって服を「良し」とするか、みたいな議論がすごく難しくなる要因を私なりにいくつか挙げさせていただくと、

  1. 主観と客観の同時成立
  2. ※ただしイケメンに限る
  3. 似合う、似合わない
  4. 態度

みたいなところなんじゃないかと思います。
このキーワードだけだと意味不明だと思うので、それぞれ少し説明させていただくと、

 

1.主観と客観の同時成立

これがその後の2〜4にも全て共通する根本の要因だとは思うんですけれども、服って基本的には人が着て初めて成立するものですので、着る自分と見られる自分っていうのは同時に発生します。

服って絵画や音楽みたいにアートとしての側面ももちろんあると思いますが、それらのアートと根本的に異なるのもこの点だとも思っています。

 

つまり絵画やアートが基本的には自分(主観)が「良し」とすればそれで終わりなのに対し、服は自分(主観)が「良し」とした服を着たのを観た、広義の周囲(客観)が「良し」として初めて「良し」となる。ということだと思います。

 

学校とかでも絵は好きに書けと言われても、服を好きに着ろとは教わらないですよね。

むしろこういう服は着るなとかこういう着方はやめろという風に教わる機会のほうが多いんじゃないかと思います。

で、それもやはり広義の周囲(客観)が常に発生するからだとも思う訳です。

そして、この広義の周囲(客観)という視点がしばしば抜け落ちる、もしくは強すぎる、ということが服についてのあらゆる物事を複雑にしているんだと思います。

 

2.ただしイケメンに限る

ネット上でよく服のことについて議論がなされる場合「※ただしイケメンに限る」という言葉がオチとして使われます。

つまりいくら「良い」服を着ようが、イケメンでないと「良い」とはならないということです。

今はなき「キャサリン三世」でやってた見た目OK男子・女子グランプリとか好きで良く観てたんですけれども、8割型はどちらかというと顔で選んでいたような気がします。

 

で、この※イケメンに限るはストレートに1の問題を表していると思っていて、当たり前ですけど服って人が着ないと意味がありません。一部の例外を除き観賞用に買うってことはないと思うんです。

そう考えると、本来であれば服自体を評価することってあんまり意味がなくて、「自分」が着て初めて服の本来の価値が出ると思いますが、その評価の内訳として、いやがおうにも「着ている自分」も同時に評価されてしまいます。

いやですよねー。せっかく良いと思った服を着ているにもかかわらず、自分次第みたいなところがあるなんて。服のモデルができるだけ均一に整えられているのもできるだけ評価の内訳として「服」の割合を高めるための工夫だと思います。

 

3.似合う、似合わない

thom browne 2012aw

上は世界的にも有名なthom browneの2012awですけど、これ着て似合う人って世界に
どれくらいいますかね?

少なくとも私は似合わないです。笑いを押し殺しながら「ええやん」と言われることはあっても「お!それ似合ってるねー」とは言われないと思います。

 

でもそもそも「似合う」ってどういうことなんでしょうか。サイズが合ってるならまだ分かりますし、公平なジャッジも可能です。
でも似合ってるかどうか、となると途端にジャッジが難しくなります。

「明日遠足だからみんな似合ってる服でくるようにー」

とか言われても困ります。

で、この似合う、似合わないのジャッジメントを下す際に、全部が全部そうではないとは思いますが、半分くらいはその相手のパーソナリティも含めて「似合う」って言ってると思うんです。

パーソナリティなんてもちろんある程度相手との付き合いがないと分かりませんので、例えば初めて合った異性に対してもお洒落、カッコいい/カワイイとは褒めても、あまり似合ってるとは褒めないと思います。

そして、自分のことが自分で良く分からないことがあるように、似合う服も自分では良く分からないんだと思います。

 

4.態度

最後に態度の問題なんですけれども、これは今までの問題とは違って、良い悪いがすごく分かりやすいです。

服で自分の態度を示すのって、大きく分けて2つあると思っていて、1つは特に音楽界隈で使う場合が多いですが、ラッパーならダボダボのTシャツだし、ロックだったら革ジャン、もしくはスーツと言った具合です。もう1つは、自分が何がしかのファンであり、それをあしらったTシャツなんかを着ることによって、自分がどういうコミュニティーを好むかを示すといった場合です。

これはつまり服が何がしかのアイコンとなっていて、それの共通理解がコミュニティーによっては得られるといったことなのですが、この場合周囲の評価(客観)がそのコミュニティーに限られますので、良い・悪いの判断がしやすい。(そもそもそのコミュニティー外の人にはわからなくても良い)

しかし、これもコミュニティー内/外で評価が分かりやすく分かれるだけの話であって、そのコミュニティー外に一度出てしまうと、同じように※イケメンに限る、似合う/似合わないの分かりづらい判断が発生します。

と、つらつらと書いてきましたが今日はもう力尽きたのとmacのレスポンスが死ぬほど悪いのでこの辺にします。また機会があったら書きたいと思います。

お疲れ様です。

歌うときのなんか演じてる感じって不思議だな、とアニソンを聞きながら思う概念

人によるとは思いますが、歌うことって基本的にはなかなか恥ずかしいことなんじゃないかと思います。

 

私も断然恥ずかしい派なんですが、その恥ずかしさの要因を占めるものとして、まぁそもそも歌の上手い/下手以前に、なんか普段の自分と違う感じ、というか無駄にかっこつけてるんじゃないか、とかその歌の元々の歌手を少し意識して歌ってるんじゃないか、とかそんな気持ちが恥ずかしくさせる要因の一つとしてあるんじゃないかと思います。

 

この演じてる感じ、が私は歌うときにすごく恥ずかしいと思う次第なんですけれども、多くの人は自分のオリジナルソングなんて持っていませんから、ほとんどの歌にはその元となる「正しい」歌い方があり、歌う際にはその「正しさ」を意識しないことなんて不可能だと思います。

もちろん上手い/下手によってその再現度合いは異なりますが、何かしら元の「正しさ」についての演技的アプローチっていうのはそれに倣う/倣わない関わらず発生すると思うわけです。

 

そしてそれはもしかしたら自分のオリジナル曲を持っていたとしても、その「歌い方」自体は、過去の「歌い方」からは逃れられないのかも知れません。(大体誰の影響があるかって分かる歌手も多いですよね)

 

で、まぁ話は大きく変わって私は好んでアニソンをよく聞きます。

 

実在しない歌手

 

アニソンの定義として、とりあえずここではアニメのオープニングやエンディングでかかっている曲、もしくはその関連曲というふうにします。

そしてその種類としてはこれもまぁおおざっぱに分けると以下の種類になるかと思います。

  • タイアップ
  • 声優曲(声優名義)
  • 声優曲(キャラクター名義)

タイアップはそのままですけど、アニメ作品とタイアップする形で曲を提供しているものですね、これはアニメと全然関係なさげなものが選ばれることもありますし、アニメのために明らかに作成したものも多いです。

昔は圧倒的に後者が多かったと思いますが、最近はCDの広報装置としてアニメの効果が高まっているせいか、アニメと関係ある?って感じのアーティストも良く出していますね。

 

次に声優曲(声優名義)は、ほとんどがそのアニメにも出演している声優さんの曲なんですけれど、名義がその声優名でクレジットされているものです。水樹奈々さんとか、坂本真綾さんとか有名ですよね。

 

そんで最後の声優曲(キャラクター名義)なんですけれども、私が一番好んで聞くのはこのジャンルになります。

 

最初のほうに歌と演じるってことについてつまらないことをたらたらと書いていましたが、タイアップはそもそもとして、声優曲(声優名義)も基本的にはアーティストはアーティストとしての自分自身を演じています。

時にはその曲用に割りと変わった歌い方をする人もいるかと思いますが、それもあくまで本人のバリエーションの一つとしてであり、基本的には自分自身を演じているわけです。

 

その点声優曲(キャラクター名義)は、歌手自体はキャラクターを演じている声優さんなんですけれども、名義はあくまでもアニメに登場するキャラクターですので、基本的にはキャラクターを演じつつ歌う必要があります。

しかもそのキャラクター自体も最初のほうに書いた過去の「歌い方」の呪縛からは逃れられませんので、2重の意味での「演技」が必要になるわけです。

 

例えば、『日常』というアニメの登場キャラクターである水上麻衣(Cv.富樫美鈴)の「麻衣の阿弥陀如来」っていう曲なんですけれども、

 


【日常キャラソン】麻衣の涙の阿弥陀如来 - YouTube

 

これはあたり前ですが、声優の富樫美鈴さんが、キャラクターである水上麻衣を演じながら歌っています。

おそらく富樫美鈴さんは実際にカラオケに行ってもこんな歌い方はしない(んじゃないか)と思います。

あくまでキャラクターである水上麻衣の歌い方というものを意識してこういうふうになっていると感じるわけです。

 

しかし、一方で私はこれを聞いた時に「カヒミ・カリィ相対性理論っぽい」とも思いました。

 


PV カヒミ・カリィ ハミングが聞こえる - YouTube


相対性理論 - 救心 - YouTube

 

つまり、キャラクターとしては水上麻衣を演じつつも、その演じている水上麻衣の歌い方は過去のカヒミ・カリィ相対性理論を参照していると感じたわけです。

 

これってなんかすごく不思議な感じがするんですが、どうですかね。まぁこの不思議な感じをどうにか言葉にしたくてアニソン聞いてるわけなんですけれども、今日は少し長くなってしまったのでまた機会があれば書きたいと思います。

 

お疲れ様です。

選ばれなかった物語達の墓場のことを思う概念

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日々生きていく中で多かれ少なかれ選択の機会に迫られることって多いですよね?

しんどいですよね?

私もしんどいです。概念です。

 

ランチで何を食べるか?何を着るか?休日は何をして過ごすか?

そういう些細なレベルのものから、就職、恋愛、結婚などある程度その後の人生が規定されかねない大きなレベルのものまで、それはもうしんどいかと思います。

 

基本的に私は何も考えずストレスフリーな毎日を送りたいと切に願いながら過ごしているにもかかわらず、それでも選択の機会は寄せては返す波の如く、日々私を悩ませ、ストレスを蓄積していきます。

 

しかし一般論として、そういった人それぞれの選択の結果でしか自分というものを規定できないというのもまた事実ではあります。

要するに、自由な意志としての選択の結果の蓄積でしか、自分を他人と違うものとして認識することって難しいと思うわけです。

 

まぁそういう恥ずかしい話は置いておいて、私はよくアニメを見るわけです。

選ばれた物語と選ばれなかった物語

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いきなり話がアニメの話になりますが、ここから話すのは全般的なアニメの話ではなく、アニメの物語(ストーリー)の話になります。

 

ざっくばらんに分けると、アニメの物語の種類はその成り立ちとしては以下の4つのパターンに分けられるかと思います。

  • オリジナル
  • コミック原作
  • ライトノベル原作
  • ゲーム(主に18禁含むノベルゲーム)原作

オリジナルはアニメが初出となるもので、その他はそれぞれのジャンルである程度人気が出た上でアニメ化されるという形式をとるものです。

基本的には後者の原作ありきのものの方が比率としては高く(元々人気作なので諸々の想定がたてやすい)、オリジナルの数はあまり多くありません。

 

で、私は基本オリジナル作品は見るようにしつつ、原作ものは事前に嗜好が合うかどうかを確かめつつ見るようにしています。

しかし、原作ものの中でも、ゲーム原作のものはあまり前評判関係なく見るように心がけています。

 

それはなぜか、というのが最初のほうの恥ずかしい選択云々の話と関わってくるのですが、ゲーム原作ものをとりあえずノベルゲームと限定してしまうと、一部の例外を除き、ノベルゲームは進行上選択肢が生じます。

 

で、その選択肢に沿ってゲームを進めるなかで、様々なイベントが発生し、有限ではありますが複数のエンディングのどれかに到達する形になります。

つまり、そのイベントとエンディングの組み合わせ分、ノベルゲームは元々複数の物語を孕んだ、物語の集合体として捉える必要があるというわけです。

そこが他の原作ものとは大きく違っている点でして、ゲーム原作を元にアニメを作る場合、制作者もゲーム内のイベントの中からいくつかを選択し、最終的なエンディングを決定した上で、元々複数の物語の集合体だったものを、一つの物語に規定する必要があります。

要するにメタ的な視点での選択肢を消化した上で、何かを残し、何かは捨てなければならないわけです。

多くのノベルゲーム、しかもアニメ化のほとんどを占めるギャルゲー(おおざっぱに言うと、複数の女の子が登場し、その中の一人と結ばれるもの)では、一人の女の子は選ばれて、その他の女の子は選ばれないわけです。

 

その捨てられてしまった物語達(彼女達)は、事前に発売されているゲームの中では、人によっては選ばれるべき物語であり、その物語が存在することももちろんゲームを既に遊んでいる人は知っています。

 

よって、通常の物語では見えない、制作者の頭の中にあるはずだけの捨てられた物語が、ゲーム原作のアニメでは選ばれた物語以上に露出してしまいます。

 

物語を擬似的な人生の集約として考えた時、これほど切ないことってなかなかないんじゃないでしょうか。

 

もしも、実際の人生で捨ててしまった選択肢の全てが、その結果も含めて分かっているとしたら、その時選んでしまった選択肢に対する疑念や後悔は今の何倍以上にもなるでしょう。あの時こっちを選んでいたら、、、のこっちの結果が、結局は分からないからなんとか踏みとどめていられるわけで、その結果まで分かっていたら正直自分は何も選べる気がしません。

そして、ともすればその捨ててしまった選択肢のことは忘れがちでもあります。

 

と、本当は今やっている『WHITE ALBUM2』めちゃいいよねーと書こうと思ったら長々とどうでもいいことを書いてしまいました。

『WHITE ALBUM2』は私が個人的に執着している典型的な3角関係の物語でもありますので、そのへんの話はまた機会があれば書きたいです。

 

お疲れ様でした。

 

 

エスプレッソがあれば他にもう何もいらないと思う概念

スポーツとギター

今日から日記を書きはじめようと思います。

 

*1

 

 

個人的には何度かチャレンジしている日記ですが、なぜかあまり長く続いたためしがありません。

 

というのも、自分にはあまり根性的なあれやこれ、忍耐的なそれが大いに欠けているからです。昨日観た劇場版まどか☆マギカ風に言うならば「継続」「忍耐」「根性」「努力」などの概念がもはや円環の理的な何かに導かれてしまっているのでしょう。もはやそういう概念すらない世界の住人であるとさえ言ってしまってもいいか知れません。

 

そうは言っても、せっかくはてなのアカウント取りなおしてブログのタイトルはどんなものがいいだろうと一週間程悩んだ時間を無駄にしないためにも、毎日とは言わずとも定期的には更新していきたいと思います。

 

何を書いていくかは特に考えていません。

というよりも、書きながら何をかしこまって色々と誰かに向かってこれから書くことのあれやこれやを宣言しようとしているんだろうと思うとすでに気恥ずかしさというかそういう気持ちでいっぱいになります。

 

まぁ日記なので基本的にはその日にあったことなどを取り留めもなく書ければいいな、と思います。わざわざノートなりなんなりではなくネットを使って書くのですから、できれば有意義なものにできればいいな、と思います。

自分は趣味が映画や音楽や読書なので、そういう話が多くなるのではないかと思います。

 

それではエスプレッソの話から

 

エスプレッソのことが気になりだしたのはここ数週間のことです。

いつものように私はヨドバシカメラで一日の大半を費やすという休日を過ごしていました。

まずCDとDVDコーナーへ行き、ホームシアターをひやかし、テレビをひやかし、ゲームをひやかし、あらゆる階、あらゆるコーナーでひやかしを行いヨドバシ全体が冷えきるまでひやかしをおこなっていたところ、いつも眼球の外側で存在だけはキャッチしていたエスプレッソマシーンのコーナーで足が止まりました。

コーヒーの試飲ができるため、ひやかし乞食の間では体のいいカフェとなっているあのコーナーです。

自分はあまりコーヒーが好きではないため、(胃が極端に弱いのです)いつもはスルーするのですが、その日はひやかし過ぎであまりにも喉が乾いていたため、乞食共に混じって一杯だけエスプレッソをいただきました。店員さんの丁寧なご説明は自分には難易度が高すぎてひとつも頭に入ってきませんでしたが、いただいたコーヒーを一口いただいてみると、

 

うまい

 

すごく美味しかったです。

(ちなみに上の画像は「エスプレッソ うまい 顔」で画像検索をしたときに上のほうに出てきた画像です。なので「エスプレッソ うまい 顔」といえばこの画像なのでしょう)

具体的に言うと、頭がパーンとなる感じです。

濃くて甘い少量の液体が胃ではなく脳のシワの隅々まで巡っていく感じがして頭がパーンとなりました。

 

その経験以降、半ばエスプレッソマシーンを購入することを至上命題としつつ日々の仕事を半ば本気でさぼりながらカレーなどに舌鼓を打ちつつ食べログに投稿、などしながら過ごしていたのですが、本日とうとうヨドバシカメラでエスプレッソマシーンを購入しました。

 

もう買う気マンマンでヨドバシに向かい、自分の買う気マンマンの気配を察してか終始笑顔で応対してくださる店員さんの見守る中、マイエスプレッソマシーンを手に入れました。

そして先ほど帰宅し、マイエスプレッソマシーンでファーストエスプレッソを淹れたのですが

 

うまい

 

やはり美味しかったです。

これで毎朝ギリギリに起きて5分で支度をしていたあの慌ただしい朝とも、憂鬱な気持ちでおしくら饅頭ばかりに終始していたあの朝の満員電車とも、日々こんなことをしながら一生が終わってもいいんだろうかとありきたりな思いをかかえながら全力でサボっていたルーチンワークとも、最近少し太ってきたなーと思いスポーツジムに加入即行かなくなるも退会すらも面倒で毎月お金ばかり引き落とされ後悔のどん底な生活からもおさらばできると思うともうエスプレッソさまさまです。

 

エスプレッソは神様の飲み物だと思います。

ということはエスプレッソを毎日何杯も飲んでいるイタリアやフランスなんかは正に神の国と等しく、来月あたりには旅行にでも行ってレオン的なオジサマ方から粋なエスプレッソの飲み方でも伝授してもらおうと思います。

 

本日もお疲れ様でした。

 

*1:この日記はスポーツとギターを中心に扱った何かを議論するものでも考察するものではありません。

スポーツギターという新しい言葉の定義について考えるものでもなければ、Sports Guitarという海外バンドのファンサイトでもありません。