スポーツギターの概念

一般的なスポーツギター以外の話

服を巡る時と場合の概念

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上の写真は2012年awのthe sakakiなんですけど、いやーかっこいいですよね。

私も昨年購入したんですけど、いやー今年みてもかっこいいですよね。

 

と、私自身は思うわけなのですが、おそらく大半の人にとっては別にかっこよくもなんともないというか、ふーんな感じ、むしろ何これ?的な感じに受け止められるかと思います。

 

もちろんこのthe  sakakiというブランドについて色々うんちくを垂れることもできますし、スタジャンを和のテイストでうんたらみたいなこの服自体についても語ろうと思えば語れるわけなんですけれども、そういうことでもないと思います。

色々とロジカルに説明したところで、そうなんだなるほどーじゃあかっこいいね。みたいな感じには確実にならないと思います。

 

このなんて言うんですかね、服って私はすごく「良し」とする観点というか視点みたいなものが多岐に渡るなーというのは日頃から思っている所でもありまして、日曜の深夜で全然眠くならないのでつらつらとその辺のところについて書いていきたいと思います。

と言っても何も分からない

 

何をもって服を「良し」とするか、みたいな議論がすごく難しくなる要因を私なりにいくつか挙げさせていただくと、

  1. 主観と客観の同時成立
  2. ※ただしイケメンに限る
  3. 似合う、似合わない
  4. 態度

みたいなところなんじゃないかと思います。
このキーワードだけだと意味不明だと思うので、それぞれ少し説明させていただくと、

 

1.主観と客観の同時成立

これがその後の2〜4にも全て共通する根本の要因だとは思うんですけれども、服って基本的には人が着て初めて成立するものですので、着る自分と見られる自分っていうのは同時に発生します。

服って絵画や音楽みたいにアートとしての側面ももちろんあると思いますが、それらのアートと根本的に異なるのもこの点だとも思っています。

 

つまり絵画やアートが基本的には自分(主観)が「良し」とすればそれで終わりなのに対し、服は自分(主観)が「良し」とした服を着たのを観た、広義の周囲(客観)が「良し」として初めて「良し」となる。ということだと思います。

 

学校とかでも絵は好きに書けと言われても、服を好きに着ろとは教わらないですよね。

むしろこういう服は着るなとかこういう着方はやめろという風に教わる機会のほうが多いんじゃないかと思います。

で、それもやはり広義の周囲(客観)が常に発生するからだとも思う訳です。

そして、この広義の周囲(客観)という視点がしばしば抜け落ちる、もしくは強すぎる、ということが服についてのあらゆる物事を複雑にしているんだと思います。

 

2.ただしイケメンに限る

ネット上でよく服のことについて議論がなされる場合「※ただしイケメンに限る」という言葉がオチとして使われます。

つまりいくら「良い」服を着ようが、イケメンでないと「良い」とはならないということです。

今はなき「キャサリン三世」でやってた見た目OK男子・女子グランプリとか好きで良く観てたんですけれども、8割型はどちらかというと顔で選んでいたような気がします。

 

で、この※イケメンに限るはストレートに1の問題を表していると思っていて、当たり前ですけど服って人が着ないと意味がありません。一部の例外を除き観賞用に買うってことはないと思うんです。

そう考えると、本来であれば服自体を評価することってあんまり意味がなくて、「自分」が着て初めて服の本来の価値が出ると思いますが、その評価の内訳として、いやがおうにも「着ている自分」も同時に評価されてしまいます。

いやですよねー。せっかく良いと思った服を着ているにもかかわらず、自分次第みたいなところがあるなんて。服のモデルができるだけ均一に整えられているのもできるだけ評価の内訳として「服」の割合を高めるための工夫だと思います。

 

3.似合う、似合わない

thom browne 2012aw

上は世界的にも有名なthom browneの2012awですけど、これ着て似合う人って世界に
どれくらいいますかね?

少なくとも私は似合わないです。笑いを押し殺しながら「ええやん」と言われることはあっても「お!それ似合ってるねー」とは言われないと思います。

 

でもそもそも「似合う」ってどういうことなんでしょうか。サイズが合ってるならまだ分かりますし、公平なジャッジも可能です。
でも似合ってるかどうか、となると途端にジャッジが難しくなります。

「明日遠足だからみんな似合ってる服でくるようにー」

とか言われても困ります。

で、この似合う、似合わないのジャッジメントを下す際に、全部が全部そうではないとは思いますが、半分くらいはその相手のパーソナリティも含めて「似合う」って言ってると思うんです。

パーソナリティなんてもちろんある程度相手との付き合いがないと分かりませんので、例えば初めて合った異性に対してもお洒落、カッコいい/カワイイとは褒めても、あまり似合ってるとは褒めないと思います。

そして、自分のことが自分で良く分からないことがあるように、似合う服も自分では良く分からないんだと思います。

 

4.態度

最後に態度の問題なんですけれども、これは今までの問題とは違って、良い悪いがすごく分かりやすいです。

服で自分の態度を示すのって、大きく分けて2つあると思っていて、1つは特に音楽界隈で使う場合が多いですが、ラッパーならダボダボのTシャツだし、ロックだったら革ジャン、もしくはスーツと言った具合です。もう1つは、自分が何がしかのファンであり、それをあしらったTシャツなんかを着ることによって、自分がどういうコミュニティーを好むかを示すといった場合です。

これはつまり服が何がしかのアイコンとなっていて、それの共通理解がコミュニティーによっては得られるといったことなのですが、この場合周囲の評価(客観)がそのコミュニティーに限られますので、良い・悪いの判断がしやすい。(そもそもそのコミュニティー外の人にはわからなくても良い)

しかし、これもコミュニティー内/外で評価が分かりやすく分かれるだけの話であって、そのコミュニティー外に一度出てしまうと、同じように※イケメンに限る、似合う/似合わないの分かりづらい判断が発生します。

と、つらつらと書いてきましたが今日はもう力尽きたのとmacのレスポンスが死ぬほど悪いのでこの辺にします。また機会があったら書きたいと思います。

お疲れ様です。