スポーツギターの概念

一般的なスポーツギター以外の話

『ブリングリング』に新年から悩まされるの概念

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あけましておめでとうございます。

新年一発目は去年からなぜか渋谷のシネ・クイントで一人映画を観ると決めているので、シネ・クイントでやっている『ブリングリング』を観てきました。

いやー正月の渋谷はいつにも増して人でごったがえしておりまして、初売りなどを見つつリブロに行ってお茶して映画観てTSUTAYAで締めるといういつものコースですがえらい疲れましたね。別にシネ・クイントに何のこだわりもなく、そういえば去年もシネ・クイントで映画観たな~くらいだったのですが、なんとなくたまたま渋谷に今年も来たのだから例年行事にしてやろうという、そのぐらいの意気込みで観てきました。

映画自体も思ったより疲れましたね。何というかソフィア・コッポラ監督の前昨『SOMEWHERE』はガス・ヴァン・サント的なロングショットと父娘のどちらかといえば心暖まる成長譚だったので、そんなに頭も使わず心地よく観れたのですが、今回はクローズアップ多用で話のテンポも早く、実際に起きた事件を題材としているので、背景も踏まえながら話の流れを追うのが大変でした。

で、改めてですが、この作品はカリフォルニア州で実際に起きた「ブリング・リング事件」を題材とした作品。

「ブリング・リング事件」とは、ググってもらったほうが早いとは思いますが、要はハリウッドの若者達が窃盗団となってパリス・ヒルトンリンジー・ローハンオーランド・ブルームなどセレブの自宅で次々窃盗を行った事件で、ロサンゼルス・タイムズ紙が「ブリング・リング」(キラキラしたやつら)と名付けたのが由来となっています。

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▲なんかすごくキラキラ感が出てます

 

話だけを聞くと、おー若者を中心としたケイパーものかーみたいな感じなんですけど、全然そんな感じではないです。

なぜならこの映画において盗むことそれ自体は何の意味もないからです。特に何の工夫もいらなければ、準備もなく、盗む対象(服や金品、ドラッグ)にもほとんど執着がない。

ほんとに近所の駄菓子屋でお菓子を盗むよりも罪の意識がなく、内容もお手軽で、盗みとしてのカタルシスは全く得られないです。

それを象徴するように、途中あるセレブの家に盗みに入る一部始終が「俯瞰のロングショットのみ」で撮影されるシーンがありますが、これはもう「盗み」のキモである盗んでいるシーンが全く分からず、ただなんとなく家に入って色々雑に物色して出て行くだけの映像になっています。

なので、自分は「ブリング・リング」事件のことも知らずに映画を観たので、一体この映画が何を描こうとしているのかが途中まで掴みづらかったです。

 

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パリス・ヒルトンの靴部屋。パリス・ヒルトンって足のサイズ28cmなんですね。デカイ。

 

パリス・ヒルトンの家に盗みに入った際、登場人物達はパリスの写真が印刷された大量のクッションを見て嘲笑し、あまりに多くの服や靴、アクセサリーの数々に「モノだらけじゃねぇか!」と笑います。

盗みに入った後はパーティで「パリス・ヒルトンの家に行ったの。もう3回めよ!」と友人に自慢。盗みに入るのはセレブの家のみ。

つまりセレブそのものへの深い憧れは持ちつつも、それ自体を心の底ではつまらないものだとも思っている。だから盗んだものにもそれほど執着がない(ファッションや金品はセレブの象徴ではあってもイコールではない)。だから罪の意識もそれほどない。そもそも登場人物のほとんどはかなり裕福な家庭で育っており、特に不自由もしていない。

 

だったらなんで、盗みに入るのか。
あまりに拙い手口で、いつかは捕まるのが目に見えている。特にモノそれ自体が欲しいわけではない。

 

これは、登場人物達が手の届かない曖昧模糊とした「セレブ」に、盗みに入ったその瞬間だけ、同化できたかのような錯覚と快感を味わっていたんじゃないか、と思う。もちろんただ単純にちょっとしたチームプレイの一体感をスリルと共に味わいたかっただけなのかも知れない。

 しかし、映画のそこかしこでfacebookなどのSNSの小道具が表しているのは、つい数年前までは手の届かなかった「セレブ」がSNSを通せば実際に会話もできるし、同じ目線に立つことができる、つまり「セレブ」の象徴さえ盗めば「セレブ」足りえるのでは?と一瞬だけでも思えるということ。

しかし、いくらSNSが発達しようと、象徴であるファッションを手に入れようと、そんな同化は一瞬のことでしかないし、満足するわけもない。しかし登場人物達には、一瞬でも知ってしまった同化の快感を得る方法がそれ以外にはない。

 

逮捕後、エマ・ワトソン演じるニッキ―は盗みではない別の方法で「セレブ」となろうとする様を見ても、これは今回はたまたま対象が「セレブ」ではあるけれども、憧れる対象への現代的な同化欲求の話なのかと思いました。

 

あー疲れました。

全然的外れな気もしますが、新年改めて明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。